なぜ同じ売り文句なのに、(営業・交渉に限らず)人を惹きつける言葉と素通りしてしまう言葉とに、わかれるのか?
今日はそんなことを書いていきたい。
このブログに書くことで、自分自身に言い聞かせることができる。
惰性に陥らないためにも再確認をし続けるべきだし、、やっぱりブログ更新は必要なんだなと思う今日この頃です。
言葉の重みや言霊は、言葉そのものの意味にあるのではなく、それを発する人の言葉に「何か」が乗るから人によって結果が別れてしまう。
「何か」って言うのは、その人そのものだと思う。
それないと、言葉に重みが無くなる。
「何かに」自分が乗っていないなら、別の人が発してもいいことになる。
そうなると、俺はいらなくなる。必要ない存在だ。
うーん、それには耐えられないな。
やっぱり俺が俺であるがゆえに、交渉を成立させたい!
それが生きた証、仕事をした証明になると思う。
常にリスクを避け、安全な道ばっかり選択する人の言葉は、しょせん人の心を変えるパワーなんかでない。
リスクを選択し、乗り越えてきた人の言葉は切れ味が鋭い。
結局、どんなに言葉を取り繕うとしても、わかる人にはわかってしまうもの。
小手先の対策では、人の気持ちを揺り動かして、説得することは難しい。
それどころか、舐められてしまうだけ。
微妙な心理テクニックや会話の技術はあるにしても、そこばっかり追求していたら、「仏つくって魂入れず」になってしまう。
話し方の技術をやる暇があったら、リスクをとる人間になるために常に暗示を言い聞かせておくべきだと思う。
岩波さんがつくってくれた暗示CDはそのために必須なツールになった。
なぜリスクをとる人の言葉に威力が出るだろうか?
言葉が威力を持つ時、すなわち、その言葉が信用できている時。
軽薄な人間の言葉が信用できないのは、軽薄にしか生きていない生き様だから、いくらいい言葉を発しても、心に届かない。
スネ夫の発言が軽く流れるのもそういうことだと思う。
リスクを選択して生きてきた人間が信用できるのは、危険でも立ち向かっていく精神が立派だからだ。
そういう人間は裏切らない。だから、知らず知らず、言葉にパワーが出ている。
それを受け取る側も、なんだか知らないけれど、「この人は信用できる」と無意識で感じる。
じゃあ、なぜ軽薄そうな結婚詐欺師に簡単にころっと騙されるのか?
という疑問が出てくる。
ここは技術的なこと、人間の感情的なことが関わってくる。
つまり、結婚詐欺師は、その言葉を言っているときだけ「本気」「信じている」「自信を持っている」のだ。
そこが、相手の感情に火をつけさせる。
ちゃらんぽらんに生きているようで、その一瞬だけはマジなのだ。
悔しい話だが、そういう奴らは、本質的に営業や交渉ごとに長けているだろう。
かといって、生産的なことはできないから、結婚詐欺師をせざるを得ないわけだが……。
小手先の対策をするくらいなら、自分を騙すくらい「本気」になって「リスクをとれる」人間につねに自分を
改革していくべきだと思う。
話し方や心理学の知識的な集積も必要だが、本質を忘れるとそれらは何にも役立たない。
逆に肥大化した頭でっかち人間となって、ますます「本気」になれなくなる。
つねに安全か安全な道じゃないかを状況判断してしまい、言葉にキレとパワーを載せることができなくなる。
会話の格闘術は、言葉は二の次。言葉も大事だが、もっと大事なことを教わった。
そして、日々どうやって生きていけばいいかもわかった。
あとは実践するか、どうかにかかってくる。
その場の対策に終始するようじゃ、いつまで経っても上達できないと思う。
人と同じことばかりやっていたら、差がつかない。
自分が自分であるためには、魂の部分こそ鍛えていくべきだ。
多くの人は魂の鍛え方を知らない。
魂は理性という重い扉の向こうにあるのだから。
魂への扉を開く技術を獲得したことは、俺にとって大きなことだった。
というようなことを、ブログで書くことで、自分に言い聞かせている今日この頃です。
今日はそんなことを書いていきたい。
このブログに書くことで、自分自身に言い聞かせることができる。
惰性に陥らないためにも再確認をし続けるべきだし、、やっぱりブログ更新は必要なんだなと思う今日この頃です。
言葉の重みや言霊は、言葉そのものの意味にあるのではなく、それを発する人の言葉に「何か」が乗るから人によって結果が別れてしまう。
「何か」って言うのは、その人そのものだと思う。
それないと、言葉に重みが無くなる。
「何かに」自分が乗っていないなら、別の人が発してもいいことになる。
そうなると、俺はいらなくなる。必要ない存在だ。
うーん、それには耐えられないな。
やっぱり俺が俺であるがゆえに、交渉を成立させたい!
それが生きた証、仕事をした証明になると思う。
常にリスクを避け、安全な道ばっかり選択する人の言葉は、しょせん人の心を変えるパワーなんかでない。
リスクを選択し、乗り越えてきた人の言葉は切れ味が鋭い。
結局、どんなに言葉を取り繕うとしても、わかる人にはわかってしまうもの。
小手先の対策では、人の気持ちを揺り動かして、説得することは難しい。
それどころか、舐められてしまうだけ。
微妙な心理テクニックや会話の技術はあるにしても、そこばっかり追求していたら、「仏つくって魂入れず」になってしまう。
話し方の技術をやる暇があったら、リスクをとる人間になるために常に暗示を言い聞かせておくべきだと思う。
岩波さんがつくってくれた暗示CDはそのために必須なツールになった。
なぜリスクをとる人の言葉に威力が出るだろうか?
言葉が威力を持つ時、すなわち、その言葉が信用できている時。
軽薄な人間の言葉が信用できないのは、軽薄にしか生きていない生き様だから、いくらいい言葉を発しても、心に届かない。
スネ夫の発言が軽く流れるのもそういうことだと思う。
リスクを選択して生きてきた人間が信用できるのは、危険でも立ち向かっていく精神が立派だからだ。
そういう人間は裏切らない。だから、知らず知らず、言葉にパワーが出ている。
それを受け取る側も、なんだか知らないけれど、「この人は信用できる」と無意識で感じる。
じゃあ、なぜ軽薄そうな結婚詐欺師に簡単にころっと騙されるのか?
という疑問が出てくる。
ここは技術的なこと、人間の感情的なことが関わってくる。
つまり、結婚詐欺師は、その言葉を言っているときだけ「本気」「信じている」「自信を持っている」のだ。
そこが、相手の感情に火をつけさせる。
ちゃらんぽらんに生きているようで、その一瞬だけはマジなのだ。
悔しい話だが、そういう奴らは、本質的に営業や交渉ごとに長けているだろう。
かといって、生産的なことはできないから、結婚詐欺師をせざるを得ないわけだが……。
小手先の対策をするくらいなら、自分を騙すくらい「本気」になって「リスクをとれる」人間につねに自分を
改革していくべきだと思う。
話し方や心理学の知識的な集積も必要だが、本質を忘れるとそれらは何にも役立たない。
逆に肥大化した頭でっかち人間となって、ますます「本気」になれなくなる。
つねに安全か安全な道じゃないかを状況判断してしまい、言葉にキレとパワーを載せることができなくなる。
会話の格闘術は、言葉は二の次。言葉も大事だが、もっと大事なことを教わった。
そして、日々どうやって生きていけばいいかもわかった。
あとは実践するか、どうかにかかってくる。
その場の対策に終始するようじゃ、いつまで経っても上達できないと思う。
人と同じことばかりやっていたら、差がつかない。
自分が自分であるためには、魂の部分こそ鍛えていくべきだ。
多くの人は魂の鍛え方を知らない。
魂は理性という重い扉の向こうにあるのだから。
魂への扉を開く技術を獲得したことは、俺にとって大きなことだった。
というようなことを、ブログで書くことで、自分に言い聞かせている今日この頃です。